NO.15 いのちのおはなし

夏休み明けや連休明けに学校に行けない症候群が近年の社会現象のようである。昭和の根性論しか経験したことがなかった私は、ゆとりって楽やな…難しいな。と子供の様子を見て思っていたが、最近ふと自分の経験による価値観にがんじがらめになっていたかも、と反省した。そりゃ歯を食いしばって行ってほしい、自力で頑張ってほしい、本音はどうしても期待してしまうし結果も期待しがち。でも学校や会社や習い事のクラブなどなどの小さな社会に入っていく感じ方はそれぞれ、例えば誰かが回している縄跳びの中に入っていくような表現をしてみると、確かにしんどいきつい日もある。学校に行くことが本当に大切なことなのか本当に意味があるのか迷走する時期もある。だけど、学校へ行けないだけでそれで絶望しなくていいのだ。柔軟に考えてみたら絶対なんてないのだから。いのちがあるから、自分のいのちのある間の時間は自由に使っていいのだから。とくに今の前代未聞のコロナ時代において、今の学校生活は縛りは納得いかないことが多いのも事実。でもこの逆境を乗り越えるためにアイデアを出し合ったり、自らの主体性を持って動くってなかなか経験できないことをしたってのはおいおい必ず強みになるんだけどな、そううまく解釈できないよな。それができたら悩んでないよな。だからこそ誰にでも愚痴でもなんでも話してほしいな。ご飯食べながらでも、自転車乗りながらでもドライブしながらでも、ゲームしながらでもオタ活しながらでも。大げさかもしれないけど、味方はいーっっっぱいいるんだから。

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私事だが、おじいちゃんおばあちゃん子だった私が、ずっと実家で同居していた祖父が今年99歳で亡くなった。180センチ近くあった背丈で恰幅のよい体格だった体も別人のように痩せてしまって冷たくなってしまって、母や姉や叔母や我が子と泣きながら、祖父の顔や頭を撫でくり回して何度もありがとうと言った。長生きしてくれてありがとうと言った。祖父の生きた多くの時間を私たちに割いてくれたことへのありがとうなんだと。人のいのちとは時間だと祖父の生きざまを目の前にして痛感した。私はこのいのちを99年間生きれるかな?なかなかできることじゃない。だけど1人1人生きているいのちのある時間は何にも変え難い尊いもので、いのちとは自分以外の人に時間を使ってもらって生かされてると思うから、優しい気持ちになれる。今も藤井風の”帰ろう”を聞くと、祖父を思う優しい涙で浄化される。ありがとうおじいちゃん。

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